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2012/03/11 (Sun) 16:31
1年前の今

長文ですが、震災の時のこと、そして今思っていることを
つらつらと書いてみました。残しておきたいと思って。

1年前の3月11日14:46

14:46。研究室の後輩2人と学食で遅い昼食を食べていました。
だいたい食べ終わったあたりで揺れが始まったことを覚えています。
普段、少し揺れても(震度3~4とか)ちょっと警戒する程度なのですが、
この時は何か雰囲気が違うと感じ、周囲を伺いながら机の下に入ったあたりで大きな揺れが来ました。
この感覚は生まれ育った静岡で培った地震の英才教育の賜物だったのかもしれません。
かなり長い揺れでした。はっきりとは覚えていませんが10分くらい揺れていた気がします。
2階吹き抜けガラス張りの建物がずっとギシギシ鳴っていました。
揺れが収まりかけたかな?という辺りでまた揺れが大きくなり・・・。というのを何度か繰り返しました。
後から考えてみれば、あれが連鎖的に起こっていたという
大きな地震の一つ一つだったのかもしれません。

その後、避難場所になっている機械系のテニスコートに移動することにしました。
見ると建物によっては窓枠が外れて落ちていたりき裂が入っていたり、
かなり大きな被害が出ていることを感じました。新しくなっていろいろ学生の間で
不平不満(狭いとか人の流れが悪いとか)があった学食の入っている建物でしたが、
大きなガラスが割れることなく残っていたのが見直した点でした。
(実際は一カ所小さい窓が割れてたみたいですが)。

テニスコートで点呼や安否確認などを行い、その後研究室にある貴重品だけ持って帰宅となりました。
天気も悪く電気も消えていたのでよく見えませんでしたが、棚などがあらかた倒れていて
プリント類がほとんど床に散らばり、その上を歩きながら財布などをサルベージ。
帰る頃にはうっすら雪が降り始めていました。


あの大震災では非常に多くの方々にお世話になりました。
身近にいる友人なども勿論、避難場所でたまたま一緒になった方々。
炊き出しやストーブなどを用意してくれた方々。東北自動車道がまだ使えない中、
山形から新潟経由で東京へ行く高速バスを運行してくれた観光会社。
新潟出身の友人とその実家の方々。などなど。書ききれないほどです。

自分はと言えば、偶然フル充電になっていたノートPCを使ってUSBからみんなの携帯を充電したり、
図書館などのボランティアを少ししたり、あと大学の設備や研究室の復旧をしたりしていた他は、
ほとんど自分のことばかりしていました。
余談ですが、しばらく知り合いとまとまって行動していた間、しっかり自炊していて
普段より食事が充実していた気がします。

本当なら自分くらいの年齢の人たちが一番の労働力になっていたと思います。
勿論、ボランティアをしていた方々も多くいました。
振り返ってみれば、もしかしたら自分ももっともっと多くのことができたのかもしれない、
特に甚大だった津波の被害を受けた地域の手伝いに行けたかもしれないと思うと、
今でも時々やるせない気持ちになります。
地震のあった日の夜ずっと携帯のワンセグで見ていた(見ていることしかできなかった)
津波の映像を思い出したり、テレビや新聞などで当時を思い出す度に
「自分でできたことは」「ああすれば良かった」と考えるばかりです。

この震災で考えさせられたこと、今考えていること、それは得難いそして2度と得たくはない経験です。
しかしここで得たことを自分のこれからに生かし、行動していくことが今できる最大のことだと思います。
この気持ちを常に心に持って、また、あの時お世話になった方々に感謝の気持ちを持って
これからの人生を生きていきたいです。

テーマ : 東北地方太平洋沖地震 - ジャンル : 日記

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